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小室哲哉との巡り逢い

東京に戻ったのは、仕事仲間から「今度会社を立ち上げるので一緒にやらないか?」と誘いが有り、即断即決でそれに参加する事に決めたからです。

大手メーカーから最先端の技術の開発を請け負って、大企業ではとうてい無理な短期開発を実現する事をミッションとして行うシステムハウスを立ち上げました。

私は最初はソフト開発のリーダーをしながら、社長の補佐として会社の仕組みづくりに取り組みました。

そうこうしているうちに3年が過ぎて会社の運営も軌道に乗り安定してきたので結婚しました。相手は取引先の会社の役員秘書だったので、職場で発表した時は誰にも信用されませんでした。

妻は私が大手企業に転職する事を願っていると気付いたので、大手の外資系メーカーに転職しました。中途採用なので、人一倍頑張りました。4年後には激務と多忙からうつ病になってしまい、半年間自宅療養する事になりました。

その頃にテレビでやっていた「シティーハンター」というアニメを好きになったのですが、そのテーマソングだった「Get Wild」を好きになりました。TMネットワークが歌っていましたが、そのリーダー兼プロデューサーであった小室哲哉を好きになりました。

その小室哲哉が宣伝していたヤマハのEOSというデジタルシンセサイザーを買いました。初代EOSですが、初心者でも簡単に使えるように出来ていて、4オペレーターのFM音源でしたが、サイン波に加えて放物線波も使えたので6オペレーター並の音が出せました。

キャンペーンで、EOSを買った人が応募すると小室哲哉のワンマンショーに招待されるので応募したところ当選してしまい、ちょうど葬式の日と重なりましたが、喪服のまま会場に行きました。

舞台の上には小室哲哉と女性の司会者のみでしたが、小室が普段ライブやコンサートで使用している機材が横に置いてあり、小室の軽妙なトークの合間に、その機材を使った演奏も披露してくれました。

デジタルシンセサイザーはMIDIという技術でいろいろな機材と繋ぐ事が可能で、当時最先端の機材であったサンプラーでいろいろなリアルな音色で演奏する小室哲哉の姿を見て感動しました。

これから私のシンセサイザー人生が始まってしまい、機材を買ってはいじり、また買い替えるという繰り返しを50歳くらいまで続けることになりました。
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